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横浜市について

約3万年前から生活が始まった横浜市エリア(古代から平安時代まで)

横浜市域は3万年前に陸化し、立川ロームの堆積が始まりました。2万2000年前までには市内に人間が現れたと考えられています。およそ25ヶ所の後期旧石器時代の遺跡である旭区の矢指谷遺跡、都筑区の北川貝塚などが発見されています。

横浜市で発見された縄文時代の遺跡は、都筑区の花見山遺跡などで、今でも市内各所に残っています。
一方、中期までの弥生時代遺跡は少なく、中期後半以降は都筑区の大塚・歳勝土遺跡など、方形周溝墓を伴う環濠集落が出現しました。

古墳の出現は4世紀の中期以降といわれ、青葉区の稲荷前古墳群などはこの時代の遺跡です。

7世紀後半には武蔵国橘樹郡、久良岐郡、都筑郡、相模国鎌倉郡が置かれました。青葉区の長者原遺跡は、8世紀に成立した都筑郡衙跡とされています。

奈良時代以降、人口も増えて生産力を高め、平安時代には各所の開発も進み、坂東八平氏や武蔵七党など、関東武士の力が蓄えられました。横浜市には武士団が勢力を誇っていました。

中世(鎌倉時代から江戸時代まで)

横浜市は鎌倉に鎌倉幕府が開設された12世紀から本格的に開発が始まりました。

鶴見川や柏尾川などの河川流域では農業が発達しました。
13世紀前半には、現在の新横浜周辺地域が幕府によって大規模に開発されました。

また、東京湾に面する「六浦湊」(金沢区六浦)が鎌倉の玄関口として文化・交易・産業の中心地となりました。六浦湊は中国大陸(南宋)との貿易(日宋貿易)や内湾の交易によって栄えました。
武士や商人・職人・宗教者などが多く集まり賑わい、東海道に接して栄えた神奈川湊(神奈川区神奈川)とともに漁業と海運業の発達へと繋がっていきました。

江戸幕府が置かれた17世紀以降は、東海道の宿場とされた神奈川宿、程ヶ谷宿(保土ヶ谷宿)、戸塚宿を中心に発展しました。
特に、「神奈川湊」を持つ神奈川宿が江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄えました。六浦湊は、歌川広重が金沢八景を浮世絵としたように、風光明媚な景勝地としての色合いを濃くしていきました。

江戸時代末期までの「横浜村」は、賑わいを見せた神奈川湊や六浦湊と違い、100戸足らずの砂州上に形成された半農半漁の寒村でした。
しかし横浜村はその後アメリカのマシュー・ペリー率いる黒船の来航により一変します。

嘉永7年/安政元年(1854年)に横浜村で日米和親条約が締結され、安政5年(1858年)には神奈川沖・小柴(現・八景島周辺)のポウハタン号上で日米修好通商条約が締結されました。
この通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、横浜の都市開発の発端となりました。

幕府は横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とし、短期間で外国人居留地、深谷市在の笹井万太郎による波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港は開港しました。

明治・昭和(明治時代から第二次世界大戦まで)

1889年(明治22年)4月1日、市制が施行されると同時に横浜市が誕生しました。
当時の市の面積は、横浜港周辺の5.4km²。面積は狭いものの、市制施行当時、すでに戸数27,209戸、人口121,985人(1889年末時点)に達していました。
その後、関内地区は市政と商業の中心地として発展しました。

開港当初の横浜港の貿易は、生糸、茶、海産物が輸出され、絹織物、毛織物が輸入されました。
明治5年9月12日(1872年10月14日)には、新橋(後の汐留駅。現在は廃止)と横浜(現在の桜木町駅)を繋ぐ日本初の官設鉄道が開通しました。同年には、神奈川駅(現在の横浜駅近傍)と鶴見駅も開設されています。

当時、生糸貿易の主導権は外国商館にありました。そのため、横浜商人と呼ばれた日本人貿易商は、1873年(明治6年)には生糸改会社を設立して競争力を高め、1881年(明治14年)には生糸荷預所を設立して生糸貿易の主導権確立に努めました。

また、横浜商人たちは、県営水道の設置(1887年(明治20年))、横浜共同電灯会社の設立(1890年(明治23年))、十全病院の設立(1891年(明治24年))、生糸検査所、商業会議所の設立(1895年(明治28年))など、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与しました。

大正時代に入ると、鶴見川口の埋立が始まって京浜工業地帯が形成され始め、横浜港は工業港としての性格も持ち始めました。

戦後

1923年9月1日に起きた関東大震災では、横浜も甚大な被害を受けました。
横浜港、関内、市内全域、特に横浜市内は壊滅的な被害となりました。

震災後の震災復興事業によって1929年にはほぼ復旧が完了し、日本大通りの拡幅、山下公園の造成、神奈川県庁舎(キングの塔)や横浜税関庁舎(クイーンの塔)の建設などが行われました。

昭和時代に入り、1926年(昭和2年)4月に第3次市域拡張が行われ、同年10月には区制が施行されて、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が置かれ、以降も第6次まで続く市域拡張(1939年(昭和14年))と東京湾岸の埋立により市域は拡大し、市域面積は437.38 km²(2006年(平成18年))、行政区の数は18区となりました。

1930年(昭和5年)ごろには、現在山下公園に係留されている氷川丸などの豪華客船の就航が相次ぎました。
このように横浜港は太平洋航路の乗船地として、客船黄金時代の一翼を担いました。

また、この頃の横浜港は、生糸貿易港から工業港へと変化し、輸出、輸入とも、機械類・金属製品、鉄鋼の割合が高まりました。
この傾向は、第二次世界大戦中の軍需生産期、戦後の高度経済成長期を経て、より強まっていきました。

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲では、磯子区から鶴見区に至る沿岸部が焼き尽くされ、中区、西区の中心市街地は壊滅しました。

同年8月の終戦によりイギリス軍やアメリカ軍、ソビエト連邦軍を中心とした連合国軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収されました。

連合国軍は、横浜税関ビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ、後に東京の第一生命ビルに移転)と太平洋陸軍総司令部(AFPAC)を置き、軍事拠点としました。空襲とそれに引き続いての接収が原因となり、横浜の復興は大幅に遅れました。

1950年(昭和25年)、横浜国際港都建設法が制定され、復興に向けた取り組みが本格化し、1951年(昭和26年)には、サンフランシスコ講和条約が締結され日本の連合国による占領体制が終わりました。
同年、横浜港の管理が国から市に移管され、条約が発効した翌1952年(昭和27年)以降に大さん橋や山下公園などが次々と接収解除されました。

横浜市は1956年9月1日に政令指定都市に指定され、同時期に相模鉄道を中心とした横浜駅西口の開発が始められました。
1964年5月に根岸線の桜木町から磯子間が開通し、同年10月には東海道新幹線の開業に伴い、横浜線との交点に新横浜駅が開設されました。
また同時期に横浜駅西口地下街が完成し、横浜駅西口は急速に発展しました。

1966年に東急田園都市線で、溝の口駅から長津田駅間が開業しました。
今までアクセスの悪かった市北部が「多摩田園都市」として東京のベッドタウンという役割で発展し始めました。

1965年1月に「横浜市六大事業」と呼ばれる都市計画プロジェクトがスタートしました。
横浜みなとみらい21を中心とした都心部強化、金沢地先埋立事業による中小企業の集約化、港北ニュータウンの建設によるスプロール現象の抑制と良質な住宅街の提供、横浜市営地下鉄である高速鉄道建設事業、高速道路建設事業、横浜ベイブリッジ建設の6事業からなったプロジェクトで、現在の横浜を形作る都市基盤の整備や中枢管理機能の充実を目的としたものでした。
さらに、この六大事業の継続に加えて、港北ニュータウンや新横浜等における横浜市北部での新規事業を追加しました。

1999年には「よこはま動物園ズーラシア」が開園しました。さらに1998年は「横浜国際総合競技場(現在の日産スタジアム)」と「横浜国際プール」が完成しました。
2002年には、「国際総合競技場」で2002 FIFAワールドカップの決勝が行われ海外からも多くの観客を呼び込みました。
「国際プール」ではパンパシフィック水泳選手権が行われるなど、国際的なスポーツイベントも多く行われています。

2002年には、「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」の建替が完成しました。
横浜市内の都市計画道路は戦後の進捗が遅れていましたが、このころ進展しました。

横浜市は住みたい街ランキング4位

ITメディアに掲載された首都圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県)在住者に調査した「街の住みここちランキング2019<首都圏版>」(大東建託)で、横浜市は「住みたい街」の第4位にランクインしました。

 

参考サイト:ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1902/20/news111.html

子育て世代にありがたい横浜市内の主要な公園

横浜市には広々として子供がのびのび遊べる公園が多数あります。

山下公園

山下公園は昭和5年3月に開園した公園です。横浜港に面し、海の風をたっぷりと感じられる横浜らしい公園です。船が多く行きかう様子は子供も興味を持つのではないでしょうか。またバラの名所でもあり、毎年春と秋には「未来のバラ園」にたくさんのバラが咲き誇ります。イベントなども多く行われるにぎやかな公園です。

港の見える丘公園

昭和37年10月に開園した公園です。ローズガーデン中央にソメイヨシノが植えられており、公園のシンボルとなっています。 山手を代表する公園で展望台から港や横浜ベイブリッジの景色を楽しむことができます。横浜一のバラの名所となっており、イングリッシュローズガーデンでは四季折々のバラや草花が咲いています。香りのローズガーデンでは花木の香りを楽しめます。フランス領事館跡地のフランス山地域、イギリスの総領事官邸であったイギリス館、昭和53年に大仏次郎記念館、昭和59年に近代文学館など文化の香り高い施設が次々とオープンしました。

四季の森公園

広大な広さがあり、四季を通じて自然や遊びを楽しめる公園です。夏場は水場が家族に人気で、噴水やじゃぶじゃぶ池で楽しめます。午前中はじゃぶじゃぶ池で遊び、お弁当を食べたら噴水に移動といった事もでき、1日中飽きずにたっぷり遊べる公園です。遊具広場もあり、小さな子供たちから遊べます。

こどもの国

とにかく広さで文句なし1,000,000㎡と横浜最大の公園です。大型遊具もたっぷりとあり、広々とした芝生広場が広がります。まさにこどものための公園で、動物とのふれあい、自転車、長い滑り台、ふわふわドーム、夏には水遊びやプール、冬にはスケートなど、1日遊んでも遊びきれません。

こども自然公園(大池公園)

大型遊具が設定され、アスレティックが好きなお子さんにもぴったりです。子供動物園やバーベキュー広場もあり、1日遊べるます。相鉄線二俣川駅が最寄り駅です。

金沢自然公園(金沢動物園)

動物園がお隣にある公園です。子供が大好きなロング滑り台があります。動物園と合わせれば、さらに満足度が高くなるでしょう。季節の自然が楽しめ、春には桜や菜の花が楽しめます。予約制のバーべキュー場もあります。

野毛山公園

明治時代の豪商の別荘跡に造られた公園です。高台にあり眺めがよく、さくらの名所でもあり、桜の季節には多くの人でにぎわいます。入園料無料の野毛山動物園も公園内にあるのでどちらも楽しめます。

海の公園

水遊びに最適な砂浜の公園です。横浜で唯一の海水浴場を持つ公園です。約1Km にわたる砂浜が続き、広々とした海辺を楽しめます。初夏には潮干狩りをする多くの人でにぎわいます。カニやアサリが生息し、自然観察にもぴったりです。芝生グラウンドにはバーベキュー場もあります。

横浜市の年齢/男女別世帯人数

年齢別の人口を見ると、横浜市には30代から50代までの働き盛りの世代が多く居住していることがわかります。また子育て世代と言われている20代後半から30代も多いことから子育て環境が整っているエリアと言ってもよいでしょう。


横浜市では年収500万円以下の世帯が全体の約5割を占める

横浜市における世帯別収入では年収300万円~500万円の世帯が最も多く422540世帯で28%を占めています。年収300万円未満の世帯も413790世帯で27%であり、横浜市では年収300万円未満から500万円の世帯が合計55%であり、半数以上を占めていることがわかります。


横浜市で最も多い外国人登録数は中国人の40%

横浜市に住んでいる外国人は登録されている人数で101,589人でした。最も多い外国人は、中国人、40685人であり、40%を占めています。次いで多いのが韓国人で12914人であり、13%を占めています。ベトナム人・フィリピン人の合計は16589人の17%でした。このことから横浜市に居住している海外出身者はアジア系の人が多いことがわかります。


横浜市の地価は神奈川県内2位で最も高い単価は1㎡あたり単価は西区の133.9807万円

横浜市の地価公示価格の平均値は、神奈川県で2位で、前年比は1.61%の上昇でした。
また、日本全国の市区町村別で見ると横浜市西区は89位で、横浜市中区は93位です。
さらに詳細に見ると、横浜市の標準地で最も高かったのは横浜市西区南幸1-3-1で、1㎡あたりの単価は1380万円、となりました。横浜駅0mの都心部で前年比13.11%という土地です。


横浜市のみどころ

横浜市の港町ならではの自然景観、都市景観、名所・旧跡イベントをご紹介します。

三渓園

三溪園は、製糸、生糸貿易で財を成した実業家・原三溪が明治39(1906)年に開園した庭園です。敷地面積18万平方メートルの広大な日本庭園が四季ごとに美しい景観を作り出します。園内にある臨春閣や旧燈明寺三重塔など10棟は、重要文化財に指定されています。梅や桜、ツツジ、紅葉などの名所としても知られています。

三渓園

赤れんが倉庫

明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。現在は飲食店などのショップが入っています。また広場では様々なイベントが行われています。横浜を代表する観光スポットです。

赤レンガ倉庫

神奈川県庁(キングの塔)

神奈川県庁本庁舎は、関東大震災後の1928(昭和3)年10月に四代目の神奈川県庁舎として建てられ、登録有名文化財となっている横浜を代表する近代建築のひとつです。「キング」というのは外国から来た船乗りたちがつけた名称で、入港するときに見える「神奈川県庁本庁舎」「横浜税関本関」「開港記念会館」の横浜三塔をトランプのカードになぞらえたと言われています。

神奈川県庁(キングの塔)

三ツ池公園

三ツ池公園は、JR鶴見駅の北西約1.8kmに位置し、名前の由来にもなっている三つの池を豊かな樹林が囲んでいます。この公園の桜の景観は非常に美しく、桜の季節にはお花見でにぎわいます。日本の「さくら名所100選」に選ばれています。

三ッ池公園

外交官の家

1910年に明治政府の外交官・内田定槌氏の邸宅として、アメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台に建てられた建物です。横浜市が平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復原し、一般公開されました。

外交官の家

横浜外国人墓地資料館

横浜外国人墓地資料館は、幕末の米黒船艦隊来航の際の軍人の埋葬により始まった墓地です。横浜開港当時の発展に貢献した19世紀の人々をはじめとし、40数カ国の外国人約4,800人が眠っています。墓地内は非公開ですが、資料館では埋葬者の業績を紹介する資料を見ることができます。

外国人墓地資料館

横浜中華街

横浜中華街は開港後、西洋人とともに一緒に来た中国人の外商が商売を始め、その後増加する中国人とともに次第に形成されていきました。
現在では、世界最大級の規模を誇る横浜中華街には、600軒以上の店がひしめくグルメスポットとなっています。

横浜中華街

横浜中華街 媽祖廟

2006年(平成18年)3月17日、開港から150周年を迎える横浜の新名所として横浜中華街に落慶開廟した台湾最初の官建の台南市大天后宮より分霊された媽祖をまつる祠廟です。「媽祖」は福建省の林氏の娘で、航海を護る海の神様です。また自然災害や疫病・戦争・盗賊から人々を護る女神様として世界各地で信仰されています。近年ではパワースポットとしても知られています。

横浜媽祖廟

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